論文発表: 北極海でも窒素固定が ー 見逃されていた循環
生態系における生物生産は、しばしば窒素の供給によって制限されます。生態系が窒素不足に陥ると、窒素固定という特殊な生化学反応をする微生物が現れて、窒素不足を緩和する役割を果たします。窒素固定とは、分子状の窒素(N2)をアンモニアに変換する反応のことです。この反応が起こることで、大気中に大量に存在する窒素ガスが生態系に取り込まれます。では、いつでもどこでも窒素固定が起こればよさそうに思いますが、実は、分子状の窒素というのは、ふたつの窒素原子が「三重結合」という強い化学結合で結びついてできており、これを切り離すのには多くのエネルギーと特別な酵素が必要です。このため、アンモニアや硝酸塩のような「利用しやすい」養分が十分にある環境中では、窒素固定という戦略は不利になります。言い方を変えると、窒素固定微生物が繁栄できるのは、アンモニアや硝酸塩の濃度が年中低く、慢性的に窒素不足になっている環境、つまり海洋でいうと、主に亜熱帯・熱帯海域に限られるということになります。
ところが近年、この考え方の修正を迫るような知見が報告され始めています。窒素固定をつかさどる酵素の設計図である「ニフ遺伝子」の分布を調べた結果、従来知られていたよりもずっと広範な海域で、ニフ遺伝子が見つかることが明らかになってきたのです。またニフ遺伝子の多様性の解析から、従来考えられていた以上に多様な窒素固定微生物が海洋に存在することもわかってきました。しかし、ニフ遺伝子が見つかったといっても、その海域で実際に窒素固定が起きているかどうかは確かではありません。窒素固定がどの程度起きているのか、また、それが窒素循環の中でどの程度重要なのか、ということについて調べる必要があります。
私たちは、ニフ遺伝子の詳細な解析と合わせて、窒素同位体トレーサーを用いて、窒素固定速度の測定を行いました。その結果、東北地方の三陸沿岸海域や、さらには北極海といった、これまで窒素固定はほとんど起きていないと考えられていた海域でも、窒素固定が活発に起きていることが示されました。北極海では、アンモニアや硝酸塩の取り込み速度と窒素固定速度の比較を行いましたが、その結果、局所的には無視できない規模で窒素固定が起きていることもわかりました。
今後、この「見逃されていた窒素固定」に関する新しい知見を踏まえて、海洋における窒素循環の収支を再検討する必要があります。また、北極海のような極寒の環境中で生息する窒素固定微生物の生態というのも、今後究明すべきとても興味深い課題だと思います。(永田 俊)
以上の研究は、東京大学大気海洋研究所と海洋研究開発機構他の共同研究として実施されました。
この論文には三陸沿岸域での窒素固定を調べた結果が報告されています。この研究は、東北マリンサイエンス拠点形成事業の支援を受けて行われました。
この論文には、北極海(チャクチ海)での窒素固定を調べた結果が報告されています。本研究は、科研費や文部科学省からの補助金の支援を受けて行われました。プレスリリースもご覧ください。