私の研究:「同位体分析によるサケやマグロの回遊生態の研究」― 研究員 山口保彦
サケやマグロなど、食卓にも身近な魚には、海をダイナミックに数千キロもの距離を回遊する種が多くいます。例えば、日本の河川で生まれたサケは、オホーツク海、ベーリング海、アラスカ湾など亜北極海域で数年かけて成長・成熟した後に、産卵のために日本に帰ってきます。クロマグロも、日本海や沖縄周辺で生まれた後、北太平洋を横断してカリフォルニアやメキシコ付近で成長してから、再び北太平洋を横断して日本周辺の産卵海域に帰ってきます。水産資源量の変動や減少のメカニズムを理解するためには、魚類のそうした回遊生態を理解することが重要ですが、その実態にはまだまだ謎が多いのが現状です。
私は、サケやマグロなど回遊魚の体組織に含まれる炭素や窒素などの同位体天然存在度の分析を用いて、その回遊生態を明らかにする研究プロジェクトを進めています。特に、加速器質量分析計(AMS)を用いた炭素14濃度分析や、ガスクロマトグラフィー同位体比質量分析計(GC-IRMS)を用いたアミノ酸の化合物レベル窒素同位体比分析といった、先端的な地球化学分析手法を応用しています。
炭素の同位体の一つである炭素14(放射性炭素)の海での分布は、深海からの湧昇など海洋循環プロセスを反映するため、黒潮海域では高濃度、親潮海域やベーリング海では低濃度など、海域ごとに濃度が顕著に異なります。そのため、魚試料中の炭素14濃度を分析することで、魚が主にどの海域で餌を食べていたのかが推定できます。例えば、岩手県で採取されたサケについて、筋肉と卵の炭素14濃度をそれぞれ分析したところ、卵を作るための栄養は主にベーリング海で獲得していたのに対し、筋肉には日本近海で食べた餌が寄与していることが分かってきました。
窒素同位体比に関しても、東太平洋では高い値、西太平洋では低い値など、各海域での窒素循環を反映した分布を示します。アミノ酸の化合物レベル窒素同位体比分析は、生物の餌の窒素同位体比を精確に推定できる手法として、最近注目されており、魚の回遊生態の解明にも応用できます。
私自身はこのプロジェクトを始める前は、主に海洋堆積物や海水溶存有機物といった地球化学的な試料を対象に、アミノ酸窒素同位体比や炭素14などの分析を用いて、海洋物質循環の研究に取り組んでいました。そのため、魚の生態学は私にとっては新しい分野なので、水産学などの研究者の方々との共同研究によってプロジェクトを進めています。まだまだ学ぶことが多い毎日ですが、様々な分野が協同することで初めてできる研究だと思うので、今後も面白い成果を出していきたいと思います。
(特任研究員・山口保彦)
写真1:クロマグロの生殖腺のサンプリング
写真2:大気海洋研究所生元素動態分野のGC-IRMS
写真3:クロマグロ稚魚のサンプリング